落ち着けないわが子がフリースクールを選ばず小学校を卒業した工夫の紹介。

私は現在、中1、小5の兄弟の育児をしています。

長男がADHDです。

小2の2学期から集団行動がとれなくなり、特別支援学級へ。小4までは原級(一般的なクラス)に殆ど居られませんでした。落ち着けず座って勉強も殆どすることなく、廊下や校庭をフラフラ・・・。テストなんて受けたこともなく、鉛筆も殆ど削った覚えがありませんでした。

イライラしやすくお友達とのトラブルも多く、ケガをさせたり、ガラスを割ったり、暴れたり・・・。小学校という場所が合わないのかな・・・。もっと違う場所があるのではないか・・・。保護者なら悩みますよね?

周りからは「フリースクールに行ってみたら?」と言われた事もありました。

今回はそんな我が子が、フリースクールを選ばず小5~殆ど原級で過ごすことが出来る様になり、小学校を卒業した工夫を紹介します。

小学校に居た理由と小学校生活での問題点

なぜ小学校に居たのか

長男が卒業した小学校は1学年4クラスあるマンモス校です。

あまりにも小学校生活がうまくいかず、長男も苦しいし、それを傍で見ている私もとても辛かったので、もっと小規模の小学校に転校した方が先生方のサポートも手厚く長男には向いているのではないか?もっと自由に時間を過ごすことが出来るフリースクールに行った方が生き生きするかも・・・。

「学校変えてみる?」と聞いてみたら、意外にも「転校はしない」と返って来ました。

理由は「友達と離れるのが嫌だから。」でした。

友達とのトラブルも多く友達と呼べる友達も殆ど居なかったのですが、いつも通学途中に一緒に歩いている友達や、保育園時代に仲良しだった友達もいたので、少なくとも長男なりに当時の人間関係を大事にしたいんだなと感じました。

私たちは、何か岐路に立った時どうするのかは、子供にいつも助言はしますが自分で考えさせて選択させて来ました。なぜなら、親が決めた選択肢を子供に押し付けてもし、うまくいかなかった時に子供が納得できるはずがないと分かっているからです。一方、自分が選択した道でうまくいかなかったとしても誰のせいにもできませんよね。その代わり私たちは、しっかり見守って全力で応援しています。

この時も長男が通う学校ですので長男の選択を尊重し、入学した時の小学校のまま通学することを決めました。

小学校生活で困難だったこと

  • 聴覚過敏の為に教室に入れない。
  • 動いていないと落ち着けず、学習がすすまない。(低学年の頃は特別支援学級からも出て行ってしまい集中して学習が出来ない。)
  • イライラすると言葉ではなく手を出してしまい友達をケガをさせてしまう。友達が出来ず、登校しぶりも。
  • イライラすると物に当たり、ガラスを割ったり掲示物を破る。
  • 気に入らない事があると、帰宅してしまう。

親の願い

特別支援学級でも落ち着いて学習を進めて欲しい。

とにかく小学校でメインとなる学習が出来ませんでした。成績表は評価できず斜線ばかりでした。

特別支援学級に入ると、『個別指導計画』というものを担任の先生が作ってくれます。これは長男に関わる全ての人と長男の状態や目標を共有し、長男の学校生活での支援を円滑にするためのものです。

当時の『個別指導計画』の目標の1つは、学力を伸ばすことで集団学習の中でも自信が持てる様になる。でした。学習の遅れも気になりますし、何とか学力をつけて自信をもって欲しい。学習の遅れからくる学力不足が原級に帰るのを妨げる原因にしたくありませんでした。

友達を作って、原級に入れるようになってほしい。

当時イライラすると言葉で表現できず手を出したり、物を壊したりしていたので、友達が居なかったです。またコミュニケーション能力もなく友達と会話を上手にすることが出来ませんでした。

成功体験を積んで自己肯定感を上げて欲しい。

友達とコミュニケーションを取って人間関係を広げたり、みんなと同じ宿題をこなしたり、給食当番や掃除も出来る様になって欲しい。

当たり前のことが出来る様になることで、自己肯定感が上がるのではないかと考えて居ました。

具体的な工夫

特別支援学級に入級しました。

特別支援学級は1クラス10人未満が多く、かなり人数が小規模なので雑踏も少なく、聴覚過敏の長男には過ごしやすい場所でした。また先生のサポートも手厚くなります。

動いていないと落ち着かないので机に座って勉強する時間も低学年のころは数十分でした。そういう特性を理解して頂けるので、少し勉強したら残りは卓球で体を動かそう。カードゲームでリラックスしようなど配慮して頂けたので、長男も過ごし易かったです。

何より数十分でも集中して学習できる場所が出来ました。

そして異学年の先輩も居るので、書字が苦手だった先輩のノートを見せて貰うことで自分も高学年になればきれいな字が書けるようになると希望がもてる機会がある事や、一緒に体を動かして遊んで貰える事が長男にとっては人間関係を広げる機転ともなりました。

少しづつ人間関係が広がることで、登校しぶりも少なくなりました。

発達相談センターに通いました。

小学校には直接言いにくいことを、担当の方が間に入って学校に伝えてくれたり、医療や福祉の窓口になってくれたり、母の愚痴を聞いてくれたり私も沢山お世話になりました。

動物好きな長男の為に施設から動物を連れてきて触れ合う時間を作って下さいました。(動物セラピー)

一緒にドッチボールをしたり様々な体を動かす遊びを取り入れて一緒に時間を過ごして下さいました。(プレイセラピー)

常に小学校という戦場に居てふさぎ込みがちな長男の気持ちをほぐして貰って居ました。

服薬をしました。

発達相談センターのサポートで医療との繋がりも作って頂けました。そこで信頼できる医師と出会い受診に至りました。悩んだ末に服薬を開始しました。

そして特別支援学級でも集中して学習できる日や時間が格段に上がりました。学習が出来る様になって、自分を否定する気持ちも少なくなりました。

また、怒りの沸点も下げる事が出来る様になり、ガラスを割ったり、掲示物を破る事が減りました。

イライラしてそのまま帰宅する事も減り、給食当番や掃除も出来る日が増えました。

オンラインゲームで友達を作りました。

学校で友達とコミュニケーションを取るのが苦手でしたが、帰宅後に近所の友達とゲームをしたり、一人でもオンラインゲームで学校の友達と繋がってゲームをすることではコミュニケーションが取れました。そこからぐんと友達関係が広がりました。

面と向かって話をするよりは、ゲームをしながら話をする方がコミュニケーションを取り易かったそうです。そして学校でもゲームの話をきっかけに楽しく友達と話をすることが出来る様になりました。

それがきっかけで5年生の1学期から原級に入れるようになりました。

オンラインゲームと聞くとマイナスイメージがありますが、意外にも長男にとってはターニングポイントとなるツールになりました。

まとめ

上記の工夫などでフリースクールを選ばすに、小5の1学期から殆どを原級で過ごし、なんとか無事に小学校を卒業できました。

発達相談センターの方は私の知らない情報を教えてくださったり、長男との関わり方に迷った時はサポートして下さったりしました。

知らない事を知っている方から教えてもらう姿勢や、マイナスイメージのことでも取り敢えずやらせてみたり、やってみる姿勢って大事だったんだなと感じます。何でもやってみないと始まりませんし、やりながら先の事は考えればいいんだと思います。      

今お悩みの保護者の皆さん。ぜひご自分のお子さんの選択した道を精一杯工夫して応援して下さい。どんな道でも乗り越えられると確信しています。周りの大人たちが困っている子供たちにきちんと向き合う姿勢は必ず子供に伝わります。

以下は小学校最後の授業参観日に貰った長男からの手紙です。

沢山の関わって頂いた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

お母さんへ、ここまでくるには、お母さん の力が必要でした。そして、低学年の時色々あったけど、そんな時いつも励ましてくれてありがとう。1年生から、4年生まで、ガラス割 ったり、悲しませたりして、大変だったと思うけど、こんな、わがままな自分を、支えて、助けてく れて、ありがとう。こんなことがあったからこそ5年生 6年生の自分がいるとこれを書いてあらためて、分かりまし た。あと勉強も必死に、分からないところを教えてくれて、 ありがとう。 もしかしたらまた迷惑かけるかもしれませんがその時はお願いします。今まで6年間支えてくれてありがとうございました。