WBC侍ジャパンの投手に選ばれた佐々木朗希投手。2023年3月11日のチェコ戦に登板することになりました。
佐々木朗希投手は令和の怪物と言われ、日本プロ野球記録、世界記録となる13者連続奪三振とプロ野球タイ記録の1試合19奪三振の記録保持者です。
更に日本プロ野球史上最年少の完全試合達成者なんです。
文字通り令和の怪物ですね!
そんな佐々木朗希投手にとって、3月11日は特別な日です。調査した所、東日本大震災と関係がありました。
今回は、WBC侍ジャパン佐々木朗希投手は苦労人。苦労エピソードをまとめました!
佐々木朗希は苦労人!震災で父、祖父母を亡くしていた
佐々木朗希選手は小学校3年生の時に野球を始めました。佐々木朗希選手のお兄さんの影響だそうです。
佐々木朗希選手の家族は、お父さん、お母さん、お兄さん、弟、祖父母の7人家族でした。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災で佐々木朗希選手はお父さんである功太さんと祖父母を同時に亡くしています。佐々木朗希選手が9歳の時です。
9歳で大事な家族を同時に3人も失ってしまうショックは相当なものでしょう。お父さんや祖父とキャッチボールをしていたといいますから野球をするのも辛い時期があったでしょう。
男3兄弟でしたから、お父さんの力も欲しい時があったはずです。
「活躍する姿を見せることが一番の恩返し。チームのために自分ができることをやるだけ」。
中日スポーツ
苦しくて悲しい事があってもそれを力に頑張って居るんですね。
佐々木朗希は苦労人!震災被害で母子家庭で育つ
佐々木朗希選手は東日本大震災の後、陸前高田から、お母さん方の親族が暮らす大船渡市に移り住みます。
お父さんや祖父母が亡くなって、佐々木朗希選手のお母さんは女手一つで三兄弟を育て上げました。佐々木郎選手が9歳の時に夫である功太さんがなくなってます。子供が小さい時に女1人で3人を育てる事は並大抵の苦労ではなかったでしょう。
佐々木朗希一家。お母さん大変やったろうなあ。 pic.twitter.com/hKzTRkd2nu
— 知理多賀男 (@takumisan3taku3) August 31, 2019
お母さんは保険会社に勤務して営業マンとして頑張りました。
「朗希くんの弟も野球を頑張っているというし、息子さんが全員優秀ですごいと噂になってます。
でも、お母さんは教育ママというタイプでもないんです。スラッとした美人ですが、性格は気さくで天然ぽい感じ。
子供の意志を尊重する放任主義だそうです。今も、保険の営業マンとして活躍されています」(地元住民)
FLASH
佐々木朗希選手のお兄さんは大学に進学し、現在は大手広告代理店に勤務しているそうです。女で一つで大学に子供を進学させる努力が凄いです。
佐々木朗希は苦労人!苦労エピソードまとめ
佐々木朗希選手は東日本大震災でお父さんと祖父母をなくしています。波乱万丈な人生が予想されますが、まとめてみます。
・東日本大震災で父と祖父母を同時に3人失う。
・野球の練習をしたグランド・家族とキャッチボールした公園、小学校、自宅が津波に流される。
・陸前高田から大船渡市へ移住。小学校を転校しなければならなかった。
・進学した中学の校庭に仮設住宅が。その隣で野球を練習。
・避難所での練習はグローブもなかったので、人から借りて野球に没頭。
あの頃のことを思い返すと、こうしてプロ野球選手として野球ができる日々を本当に幸せに思います。ただ今あることは当たり前ではありません。だから毎日、目の前の時間を大切にするようにしています。生きている身として亡くなった人たちの分も一生懸命に生きていかないといけないと思っています。
産経ニュース
少年時代に佐々木朗希選手は東日本大震災を経験し、想像を絶する苦労をしました。3月11日にWBCに登板する佐々木朗希投手を天国から亡くなられたご家族が応援してくれるでしょう。