私は現在、中1と小5の兄弟の育児をしています。長男がADHDです。
小1の秋から集団行動がとれなくなり学校から頻回に連絡が来るようになりました。教室に居ません。掃除しません。給食当番しません。発達相談センターに相談しに行ってください。発達相談センター⁉何それ?先生何言ってるの?発達障害の疑いって事?そんな訳ないでしょ。保育園の時だって何も問題なく集団行動出来ていたし何も指摘されて来なかったんだから。
発達障害…ADHD…まさに青天の霹靂だった。
今回はそんな長男が1年生~4年生までに起こした問題行動の1つである脱走について、保護者や周りの大人がどう対応して来たのか、成功例を含めて具体的な方法を紹介します。
なぜ脱走を繰り返すのか。
保育園では集団行動が出来ていたのに、小学校に入って2学期から急に教室に居なかったり、敷地外に出て家に帰ろうとしたりの問題行動が増えました。
保育園と違い小学校では学習があることが長男にとっては大きな壁になりました。当然机に座って居なければならない時間があります。ADHDの長男は動かないと落ち着けませんでした。そのストレスの為にイライラして怒り易くなり、カバンを背負って学校の敷地外に出る事が増えました。
怒りの沸点を下げる事。イライラした時どうすればクールダウンできるのか。これらが対策の焦点となりました。
脱走で保護者が一番困ったこと。
私はフルタイムで働いています。
脱走すると必ず学校から電話がかかってきます。交通事故に遭っていないかの安否確認や、どこに居るのか分からないので探してほしいと。当時残したメモでは月に7回、多い時で週3回電話がかかってきていました。仕事中に外線が鳴る度に学校からかな?とビクビクする毎日。急に探せと言われても仕事中のため直ぐには抜けられない日もありました。当時は相当なストレスでした。
体力的にも、精神的にも追い詰められていました。長男を探しに行く車中、このまま崖に突っ込ん死んでしまった方が楽なんじゃないかと魔がさしたりもしました。
具体的な対策
怒りの沸点を下げるための工夫。
①見通しを立てる。
長男は急な予定変更が大の苦手で、自分の想定していた事と違うとパニックになり怒っていました。なるべく先を想定しやすいように授業のプラン(45分中、何分勉強して、そのあと何をするかなど)をその都度確認してから勉強していました。
社会科見学や運動会など特別な行事がある日も、1日の行動計画を確認して見通しが立つ事で怒るポイントを少なくすることが出来ました。また前もって、天候などの都合で計画通りに行かない可能性もある事を伝える事でワンクッションが置けて怒りの沸点が下がりました。
同様に、図工や理科の実験などはやったことのない不安感からイライラし怒る要因でした。事前に何を使ってどうするのかを前日などに説明して貰いました。
②体を動かしてストレスを発散させる。
体を動かすことで落ち着け、イライラリスクを減らす事が出来たので卓球台を用意してもらい、授業の間に卓球をさせて貰いました。また体育館が空いている時間帯はソフトテニスや野球などをさせて貰って居ました。リフレッシュすることで心に余裕が生まれ、許容範囲も広くなりました。
クールダウンする為の場所探しをしました。
特別支援学級の先生を中心に本人と怒ってしまった時のクールダウン場所の確認→必ずそこでクールダウンすると約束。そうすることで校内中を探さなくて済むので、先生方の負担が減らせます。
我が子の場合は、校内では階段下の小さな部屋。校庭の木陰などでした。約束を守れた時はよく褒めて貰いました。
また低学年の頃は学童に通わせていました。学校の敷地外ではありますが、徒歩3分の所に学童がありました。学童の先生は11時頃から学童を開けているので、学校から出たくなったら学童に来てもいいよと言われていたのでクールダウン場所にさせて貰っておきました。
学童の先生は理解があり当時は本当に力になって貰いました。実際にクールダウンしに行った時には卓球を一緒にやってくれたり、ちょうどお昼になる時は先生がパンを買ってくれ、一緒にお昼を食べて過ごしたりしました。落ち着くとまた学校に戻れた日もありました。
これも敷地外ではありましたが、同じく学校から徒歩3分の所(学童の正面)に公民館がありそこのホールがとても静かで落ち着けたので聴覚過敏の長男が好きな場所でした。なので公民館もクールダウン場所にしてありました。公民館職員の方も長男の顔を覚えてくれて、今ホールに来てるよと学童の先生に連絡をくれた事もありました。
クールダウンする方法を考えました。
好ましくない行動を代替えの行動にうつします。例えばイライラして廊下の壁をビリビリしたり、掲示物を破くなどは困るので、新聞紙を用意しておき適切なタイミングで新聞紙を破く様に促して貰いました。
落書きも同じで壁ではなく、書いてもいい紙を用意しておき好きなだけ文字でもなんでも書かせました。当時はよく「死」という文字を沢山書いていました…。心配だったな…。
またガラスを割っては危険ですし、困るので安全な場所で先生が許可してくれた壁を蹴らせて貰っていました。
仕事中の呼び出しへの対応
一番困ったのは仕事中にも関わらず中抜けしないといけない事。それによる職場のスタッフへの負担が増してしまうことでした。
お母さんの代わりに長男を探してくれる人を考えました。
私も勿論探しに出ましたが、仕事ですぐに対処できない時もありました。特別支援学級の先生も他の児童がいるので長男が脱走してもすぐに対応できない場合もありました。
苦しい長男を助ける為には長男に関わってくれる人はできるだけ多く必要でした。誰か学校の先生のサポートしてくれる人が居たら…。
ある程度大人で動ける人。時間がある人。と考えた時に大学生だ!!と閃きました。そして近くの大学に直談判して運よくボランティアを派遣してもらえる事になりました。その後数年間ほかの特別支援学級のクラスにも数名ボランティアに入って貰える事になりました。
また近所のお母さんにも状況を伝えて理解して貰いお母さんと連絡を取り、自宅に帰宅しているか確認して貰うこともありました。
探して貰い易い服装にしていました。
校長先生・教頭先生・事務の先生・保健室の先生にもいつも目に留めて貰って居ました。教頭先生は脱走した時に追いかけて家に居るか確認してくれた時もありました。様々な方達が遠くからでも長男を探し易い様に、なるべく赤や黄色、蛍光のワンポイントが入っている服を着せるなど工夫していました。
呼び出し後のお向え時間を工夫しました。
毎日仕事でしたので、もし帰りたくなった場合は自分(私)の昼休みに迎えに行くからそれまで、クールダウンしながら待っていなさいと、伝えていました。これで仕事中抜けることなく、職場のスタッフにも迷惑をかけることなく迎えに行くことが出来るようになりました。
仕事中ですから電話に出られない時もありました。必ず5分後にはかけ直すから待っていてと具体的に待ち時間を伝え、仕事が落ち着いてからかけ直し迎えに行く約束をしました。
その後の長男
直ぐには脱走は無くなりませんでした。約3年脱走を繰り返していました。クールダウン場所を約束しても単純に守れる日の方が少なかったです。それだけ当時の長男にとってクールダウンが難しかったという事ですね。
長男の苦しみは本人でなければ分からなくて完全には理解できていませんでした。脱走をまたしてしまったと悲しくて悔しくて泣いている時は、私も隣で自然と泣いていました。
母親が何ができる訳ではなかったのですが、長男の隣で同じ空間を共有する事は長男にとって踏ん張る底力になったのではないかと感じます。
何とかしてあげたいと思う大人たちの思いが長男に伝わり5、6年生の頃は、仕事中の呼び出し電話や脱走が0になりました。
また今になって沢山の方達に関わって貰った、助けて貰ったという事を長男に伝えることで、感謝を口にする事が出来る様になりました。これからは逆の立場になるかもしれませんし、助けて貰った分を大人になってリレーできる人間になりなさいとも伝えています。
まとめ
振り返ってみると、親子で苦しい日々を過ごしていました。でも困った時には必ず助けてくれる人が居ました。大切なことは現実を認める事。困っている事を隠さないこと。
たまに子供の発達障害を認めない(られない?)保護者がいますが、それでは何も始まらない、助けて貰う手段・機会を失ってしまいます。
特に発達障害の子育ては自分の家庭だけで子育てするのは困難です。困っています!!と子供も親も声を上げる事で助けて貰う事が出来ました。(長男の場合は言葉にはできませんでしたが、脱走というアクションで困って居ると伝えていました。)周囲に助けを求める事は大人になっても生きる力という意味で大切な事だと思います。
また子供の居場所は沢山あった方がいいと感じます。両親も疲弊してしまいいつでも優しい気持ちで居られない事もあります。親以外に関わってくれる大人が居る学童や近所の家はとても大事な場所でした。
今お困りの保護者の皆さん、参考にできる事から始めてみてください。きっと明るい未来が待っています!!